淳二 怪談を語る

最近はねえ、私、古い怪談をひもといてみようかなんて思ってねえ—-。
そんなこと考えたりしてるんですよー。
昔読んだものもあって—。もちろん、小泉八雲なんて話もあるし、昔っからの古い話なんていっぱいある。
てーいうのはねえ、最近、なんか怪談が、怪談でなくなってしまうんじゃないかって、そんな思いがしたからでねえ。危機感じゃあないんですけど。
日本の本来の怪談、それに私が今まで話してきた怪談って、なんかこう、ねえ、「心」のようなものがあったと思うんですよー。ところが、最近はなんか違う。
もちろんねえ、昔の日本の怪談だって、ただ怖いだけのものもありますよ。わりと簡単な話もあるんですがねえ。そこには、「人への思いやり」とか、「教え」もあったんですよねえ。
別に、その、怪談で「教え」はなくたっていいんですが、ただ、「こういうことすると、こういう目に遭いますよ」なんてだけでもいんですがね。怪談はあくまでも怪談ですから、別に勉強しなくてもいいんですが—-。最近のねえ、どーも様子を見ていると、怪談とはいいながら、肝心な部分は怪談ではないような、「ホラー」に近いものがあるんですよねえ。私は、そう思うんだなあ。
でねえ、ホラーはホラーでいいんですよ。 ねえ? その恐怖というのは実際あるわけなんだから。例えば、道を歩いてる。たまたま向こうに渡る時に、地下の歩道があって、その地下通路を渡って向こう側に渡る時に、向こうから人が来た瞬間に、
うっ!
と、妙な恐怖を感じたりする。でもそれは、「我々のもっている怪談の怖さとはまた違うもの」ですよねえ。
怪談には怪談の怖さがあるんだ—。
それは、その、なんというか「受身の怖さ」みたいなやつ。  我々が想像したり、気がついたりしてもつ恐怖。気がつかなければ気がつかない。でも、気がつくと、顔が真っ青になってしまう。これは、もう、怪談ですよねえ—–。
ところが、最近のものをみているとねえ、もう目の前に現れたもの、瞬間、すごい恐ろしい顔をして、もうこの世のものとは思えないような、よくもまあここまでっていうグロテスクなものが出てきてねえ。
バッーン! とショックを与える。 「うわっー!」  となる。でもねえ、そりゃあ、誰だって驚きますよ—。そんなもの目の前に出てきたら—–。  これってねえ、怪談ではないんじゃないかと、そう思うんですよ。恐怖には、じつにたくさんの種類がありますから—。
例えばジェットコースターに乗って体験する恐怖もあればねえ、怖い話を聞いて怖いというのももちろんあって。でも、怪談には怪談の、何か背筋がゾッーと寒くなるような、ゾクッ! と震えるような、汗がジトーッとにじむような、そんな怖さが快感に変わるというのかなあ—-。そういう心地よさがあるんですよねえ。
だからこそ、怪談は娯楽として成立してきたんですよ。
そういう、昔ながらのねえ、味わいのある話、怪談をやりたいなあと、あらためて思うわけですよねえ。
ええ—-。  怪談の持つ魅力みたいなもんを、もう一度探ってみたいなあと、そう思うんですよー。